父の子供で良かった。小檜山博『人生という旅』を読んで。
10月4日日曜日、北海道から東京へ結婚式に行った時のこと。
1歳下の、3年前の仕事の研修で仲良くなった友人。
たった1週間だったけど、40人ほどが同じホテルで勉強したり夜な夜な皆で宴会して絆を深めた、大切な友人の一人。
そしてその研修は一生忘れることのできないかけがえの無い思い出だ。(今度話す!)
さて、式の素晴らしさも去る事ながら帰りの羽田空港のラウンジでとある本を読みながらある事を思い始めた。
俺は心がフラットな状態の時(仕事の事も考えず、特にこれといった悩みや焦燥感なども無いストレスフリーな状態の時)、
自分の心が少し穏やかで豊かな気持ちになることに気付いた。
良い物を見た時は純粋に感動しやすく、気分の良い時はテンションもおのずと上がり、心震えるような出来事があると涙が出そうになるという具合に。
そういう状態の時、なぜかよく故郷の事を思い出す。
そしてその時は同じ男である父親がパッと出てくる。(今も元気です)
28歳。もうすぐ30歳。
年を重ねるごとに父の凄さってのを身にしみて感じる。増していく。
黙って俺に付いて来い的でも無く、けど饒舌でも無く、俺たち子供に対して高圧的では無く、かといって甘やかすことも無い。
どちらかという昔は母に甘えてたし、優しさと厳しさを与えてもらってた。
俺には変な所の記憶力があって、父が何気ない会話で言っていた事を鮮明に覚えてたりして、その中でさりげなく大事な事ってのを父から学んでいる気がする。
父の姿からも。
ん~。
ひとつ言えるのは、こういう父親、こういう人になりたい、こうなるんだってそう思わせてくれる人。
僕らは同じ遺伝子を持っており、その事に大きな自信を感じ、物事の感覚もこれは父譲りでこれは母譲りであるのかという事実が、俺の背中を押してくれる事がある。
で、なぜか泣きそうになる。
たぶん生きてる間にこういう事を本人には直接は言えないかな。こっ恥ずかしいし。
ただ時たまこういう風にふと思い出す時に、父への思いと感謝、凄さを思う。
同じことは母にも思う。
さて、結婚式でも研修で出会った旧友と再会したり、人生の一期一会の素晴らしさを改めて思った。
28にもなると色んな結婚式に出て、最初ほど純粋な感動が感じなくなるが、
新しい気付きにもこうやって出会えるので、今回の東京の旅もまた良い物となった。
羽田空港で帰りの飛行機を待ちながら読んでいた、本棚に温めてあった小檜山博の『人生という旅』を呼んであまりにハートフルで感動して、
ラウンジで周りの人に気付かれぬ様に涙を拭い、おもわずこんな日記を書いてみた次第です。