東日本大震災と、被災地を回る旅。
夜、ふとご飯を食べテレビを見てネットをしてて、いつもと同じような夜を過ごしてたら、急に思いだした。
もうすぐあの日がやって来る。
3月11日。
北海道にいる僕にとってもその日は忘れられない。
少しずつ、時間が経って、復興も進んで、
宮城や岩手で何か大きなイベントがあると嬉しくなって、
何か節目節目でやはり被災地を思い出すんだけど、
やはりどうしてもテレビや報道などでは少しずつ入ってくる情報も少なくなり・・・。
あの日あの時しばらく数週間はネットにもテレビにもかじり付いて、
傷ましい光景を見る度に胸が痛くなり、ただ祈るようにというか、
けど自分が出来ることは何かを考えて・・・。
募金ぐらいしかできず・・・、
自分の生活もあるから、仕事ほっぽらかしてボランティアに行く事さえもできなかった。
もしあの時自分の大切な存在が東北にいたら・・・。
いや、親しい人がいたら何かするのか?
そういう人がいなかったら動く事も出来ないで何もしないのか?
自問自答して本当何もわからない日々で。
無力。
大災害を前にして自分の力なんて何もないのかと。
傍観者か?自分は被災してないだ?知り合いはいないだ?
そんなんで良いのか?
特定の誰かじゃなくたって良いんだ、必ず被災地の人たちに何か力になれること、自分が出来る事をしようと。
そう思って、昨年、2015年1月に宮城県に行った。最初の目的は観光だった。
震災から4年経って、観光地を巡り、その土地の美味しい食べ物食べて、お土産を買って、お金を落としていこうと。
そして一番は何より、自分の目で被災地の状況を目に焼き付けたかった。
その時の写真。
気仙沼の復興支援室
気仙沼のお魚いちば
震災遺構にもなった南三陸町の防災対策庁舎
これ行ったの去年だから今現在は状況が違うかもしれないけど、ほんとに復興は進行形だった。まだ全然終わって無い。続いてる。
実際に見て本当そう思った。まさに工事も真っ只中で。
建物のある所は残っていたり再開発も進んでるけど、
更地、空き地は両極端でなんというか良い言葉が見つからない。
同じ街なのに別世界というか。
行った日は1月下旬で肌寒かったし、こんな状況で被災地の人たちは震災直後に頑張っていたのかと思うと、涙が出そうになった。
旅行のその日、被災された方々に近い状況に身を置きたい衝動に駆られ、宿は取らずレンタカーで車中泊をした。
石巻焼きそば
仙台駅にて牛タン定食
松島のカキ丼
グルメの面でも宮城は素晴らしいものがある。是非皆様にも被災地に行って、美味しいものを食べて、何かを感じて欲しい。上から言う訳ではないが。
結局、観光っぽい事はせずに被災地を中心に回る2泊3日の短い旅だったが、
濃いものだった。
また違う目的で宮城、岩手に行こうと思う。
何が言いたいのかわからんくなったが、
あの時期が近くなると、胸に問いかけて自分の在り方含め色んな物事をきちんと見つめようと、しっかり生きようと思うようになる。